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第二言語習得理論

外国語習得法の歴史から、良いとこ取りを考える

外国語習得法の歴史から、良いとこ取りを考える

自分は英語学習にイマージョンラーニングを取り入れています。また、去年「英語のハノン 初級」をやってみて、瞬間英作文よりパターンプラクティスが自分にはあっていそうだと感じました。 そこで改めて、語学教授法の歴史を振り返り、各教授法の特徴を比較・考察してみます。 教授法というのは教師が生徒に言語を教えるための方法論ですが、ここでは独学手法であるイマージョンラーニングも含めて自分なりに考察しています。 そういう意味でタイトルに「語学教授法」ではなく「外国語習得法」という言葉を使いました。 専門家ではないので細かいところで正確ではないかもしれません[^10]。 [^10]: 大筋としては間違っていないように気をつけたつもりです。一応 AI (Gemini 3.0, GPT-5.2, Perplexity) にもチェックしてもらいました。特に気になるものについては自分で調べてみてください。 「どう取り入れるか?」については、あくまで現時点の私がどう取り入れるか?という個人的な考えを書いています。皆さんはご自身にあった方法を考えてみてください。 目次 自分の外国語習得方法の歴史観 先に全体像を示しておきます。あくまで自分の中での大雑把なまとめです。文法訳読法 「言葉は分析するものだ(文書から知識を得るための教養)」ダイレクト・メソッド(1800年代後半〜、第二次産業革命以降) 「いや、母国語は使うな。言葉と意味を直接結びつけろ(幼児が言葉を覚えるように)」アーミー・メソッド(第二次世界大戦中) 「言葉は、ネイティブを徹底的に模倣して体に叩き込むものだ(戦地で生き残るために短期間で叩き込め!)」 → パターンプラクティス登場オーディオリンガル・メソッド(1950年代後半〜1960年代) 「言葉は、構造を反復して身につける習慣形成だ」 → パターンプラクティスの理論化コミュニカティブ・アプローチ (1970年代〜) 「いや、言葉は目的を達成するための道具だ(通じれば文法が多少間違っていてもいい)」クラッシェンの5つの仮説 (1970〜80年代) (ナチュラル・アプローチ) 「いや、言葉は『意味』を理解していれば、脳が勝手に獲得するものだ(練習よりインプットだ)」認知言語学 (1980年代〜) (コア・イメージによる理解) 「いや、言葉は人間の体や感覚に基づいたイメージだ(丸暗記じゃなく、ネイティブの『世界の捉え方』を納得して身につけろ)」イマージョンラーニング (2000年代〜) 「じゃあ、YouTube とか Netflix とかで大量のインプットをすれば、独学できるよね?」graph TD A[文法訳読法] -.-|批判: 喋れない| B[ダイレクト・メソッド] B -->|+反復練習| C[アーミー・メソッド] C -->|教室でやりやすい形に| D[オーディオリンガル・メソッド] D -.-|批判: 機械的過ぎて意味や意図を無視している| E[コミュニカティブ・アプローチ] D -.-|批判: 人は言語を獲得する能力を生まれながらに備えている| F[クラッシェンの5つの仮説] F -->|教授法| G[ナチュラル・アプローチ] F -->|独学法| H[イマージョンラーニング] I[認知言語学] -.-|別側面からの支持: 言葉は認知能力の一部| F I -->|学習法への応用: イメージ学習| J[コア・イメージによる理解] B -.->|精神的継承: 幼児が言葉を覚えるように| F E -->|折衷案: 必要に応じて文法に注意を向ける| K[フォーカス・オン・フォーム]後から登場したものはその前に登場したものの発展だったり批判から生まれたりしています(コミュニカティブ・アプローチとクラッシェンの5つの仮説は同時期に登場)。 しかし後から登場したものが必ずしも優れているわけではありません。 それぞれの特徴と、どういった批判があって違うものになったのか?、前のものからどう発展したのか?を知ることで、うまく組み合わせて自分にあった学習法を見つけられるのではないかと考えています。 なおここでのイマージョンラーニングはカナダなどで行われているイマージョン教育とは異なり、教師なしで独学するための方法論としてのイマージョンラーニングを指します。Refold で紹介されている方法論です(皆さん、カスタマイズされていますが)。 先にまとめ この記事は長文なので、先に結論を書いておきます。自分は以下を取り入れます。 前提:動機(目的)をはっきりさせておく 時間をかけることは必要方法として取り入れること:独学に向くイマージョンラーニングを中心に据え、実践的で意味のある大量のインプットを受け取る 文法訳読法はもう十分なので、必要に応じて文法的知識を補う できるだけ日本語を介さずに、英語をイメージと直接結びつける とはいえ、日本語による理解を完全には排除しない 語彙のコア・イメージを理解しておく 文字よりも音を重視する ネイティブの発音やリズム、イントネーションを真似して口に出す練習をする イマージョンラーニングで出会った「状況における意味のある内容」を、自分の「意図」として伝えるつもりで真似する パターンプラクティスを取り入れて文法や表現を反復練習で自動化する パターンプラクティスで行う反復練習内容について、説明による理解を排除しない パターンプラクティスで言葉を発する際に、その文を自分の「意図」として伝えるつもりで言う 英語を道具として使う意識を持つ 文化・歴史・政治など、言語の背後にあるものも学ぶ^100文法訳読法 文法訳読法は、「単語と文法知ってたら自分の母国語に訳して理解できるじゃん」という、昔から日本の学校教育でも取り入れられている外国語教授法です。 でも実際に話せるようにはならない、という問題があります。 昔々は会話ができることよりも、外国の情報を書物で読むことが重要視されていました。 「文法訳読法」は、外国語の文章を読んで理解できる(書ける)ようにするには、最短の学習時間で済む超効率的な方法です。 ダイレクト・メソッド (1800年代後半〜) 産業革命が起こって近代化し交通網が発達すると、「実際に話せる言葉」としての外国語習得が求められるようになりました。 1800年代後半に、それまでの文法訳読法への批判から、母国語を使わずに外国語だけで教える教授法が考案されました。 幼児は母国語を音から自然に習得します。これを模倣しようという発想が基盤にあります。ただし後で紹介するナチュラル・アプローチのように、幼児が言葉を覚える過程を完全に模倣しようとはしていません。 母語を排除してターゲット言語とモノを結びつける仕組みを模倣しますが、教師が特定の単語や文型を順番に提示して教えるので、プロセスは自然ではなく意図的です。ベルリッツ・メソッドは、19世紀末に開発されたダイレクト・メソッドです。 ただし現在のベルリッツ社が提供しているものは、あくまでコアとしているだけで、現代的にアレンジされていると思いますが。 しかし実際に存在するモノはターゲット言語と結びつけやすいですが、 抽象的な概念や動詞、文法構造などは説明なしに理解するのは難しいです。 アーミー・メソッド (第二次世界大戦中) 第二次世界大戦中、アメリカ軍が外国語を短期間で習得するために開発した教授法があり、劇的な成果をあげたそうです。 ASTP (Army Specialized Training Program、陸軍特殊訓練プログラム)です。その中に語学に特化したクラスがありました。アーミー・メソッドとも呼ばれます[^19]。 [^19]: 日本ではアーミー・メソッドという記述を見かけますが、英語圏では一般的な呼び方ではないようです。基本的に ASTP と呼ばれています。ここでは一般人に分かりやすいようにアーミー・メソッドと呼びます。 ダイレクト・メソッドの考え方を基盤にしつつ、「反復練習(パターンプラクティス)」を掛け合わせました^21。 ASTP(アーミー・メソッド)も一般的には次に紹介するオーディオリンガル・メソッド(の早期バージョン)とみなされるようですが、ここでは説明しやすくするために区別しています。 オーディオリンガル・メソッド (1950年代〜) アーミー・メソッドの流れを組むのがオーディオリンガル・メソッド(Audio-Lingual Method、ALM)です。 戦後に一般教育向けに理論整理されました。 この教授法の中心的な技術がパターンプラクティスです。 以下が、現在も受けられる代表的な教授法です。カラン・メソッド(イギリス英語) DME メソッド (アメリカ英語。カラン・メソッドの発展系の位置づけ)ベルリッツ・メソッドが自然な会話や絵や実物を使って「赤ちゃんが言葉を物事と結びつけるやり方の模倣」を目指したのに対し、オーディオリンガル・メソッドは反復トレーニングで条件反射的にできるように習得することを目指しています。 この手法の結果に対する批判どうこうの前に、一番のデメリットは機械的な反復練習が退屈ということではないでしょうか。 コミュニカティブ・アプローチ (1970年代〜) オーディオリンガル・メソッドでは自然な会話ができるようにならない、という批判が1970年代に高まり、コミュニカティブ・アプローチ(Communicative Approach)が登場しました。 このアプローチでは、言語はコミュニケーションの手段であり、文法や発音の正確さよりも伝えたいことが伝わることが重要だと考えます。 オーディオリンガル・メソッドが「正しい文章を言うこと」をゴールにしていたのに対し、コミュニカティブ・アプローチは「情報の隙間(インフォメーション・ギャップ)」を埋めることを重視します。 例えば二人の生徒に少しずつ内容が違う2枚の絵を渡し、言葉だけでその違いを探させます。 答えを知らないので、伝える「必要性」が生まれます。 基本練習より練習試合を重視するスタイルに変わったという感じです。 このアプローチは英会話教室において主流になりました。 逆に言えば、英会話教室にとって都合が良かった方法論とも言えそうです。教師の負担が少なく、生徒の継続性も高いからではないでしょうか。 これに対する批判は、当然のように「正確な言語運用能力が身につかない」というものです。 これを中心に据えるとしても、やはりこれだけでは不十分なのでしょう。今は「フォーカス・オン・フォーム」(意味のあるやり取りの中で、必要に応じて文法に注意を向ける)が推奨されているようです(後述)。 クラッシェンの5つの仮説 (1970〜80年代) ダイレクト・メソッドの「幼児は母国語を自然に習得する」と考え方は同じです。それに理論的な裏付けを与えた形になります。 「生得説」=「人は言語を獲得する能力を生まれながらに備えている」という考えに基づいています。 クラッシェンの仮説をもとに、より幼児の母国語習得過程を真似たナチュラル・アプローチという教授法が開発されました。特徴 ダイレクト・メソッド ナチュラル・アプローチ共通点 母国語(翻訳)を介さない 母国語(翻訳)を介さない教え方 教師が絵やジェスチャーを使い、意図した文型を練習させる 理解可能なインプットを大量に与え、自然な発達を待つ幼児の模倣 「結びつけ方」の模倣 「獲得プロセス」の模倣習得-学習仮説 大人が第二言語を獲得する場合、潜在意識的な「習得」 と、意識的な「学習」 の2つの言語発達プロセスがあると考えます。 潜在意識的な 「習得」の方が遥かに重要 です。 「習得」プロセスは子供が母語や第二言語を身につけるプロセスと良く似ています。 他の仮説の前提となっています。 自然習得順序仮説 言語のどの構造が早期に習得され、どれが後期に習得されるかについては、習得者の間に類似性が見られます。 意識的な「学習」の順序は通常は単純なものから複雑なものへ進むけれど、これは「習得」による順序と同じではない可能性があります。 (例: 英語なら、例えば三単元の s は進行形より早期に学ぶけれど、習得するのは難しくて後になります) モニター仮説 知識を学ぶ「学習」は自分が間違えたかどうかをチェックするモニターの役目しか果たさないというものです。 学習で得たモニターの使用には条件があります。時間的余裕 正確さに意識を向けている 規則を知っている3つの条件が全て満たされる状況はまれです。 特に話している時には時間的余裕も正確さに意識を向ける余裕もないです。モニターに意識を使いすぎると流暢さが阻害され、会話がぎこちなくなります^30。 役に立つのは、読み書きのとき 話す前に考えるとき 話した後で自分の発言を振り返るときです。 言語を話せるようになるには、意識しなくても直感的に使えるように「獲得」する必要があります。 それには学校で学ぶような「知識」を考えながら使えるようにする「学習」はほとんど役に立たないという仮説です。 しかも意識しなくてもよいレベルになれば自分の間違いにも直感的に気付けるので、会話中でもモニターの役目を果たせます。 3タイプの学習者がいるそうです。過剰使用者。全てのことについて「規則を知っている」必要があり、第二言語習得において文法感覚を信頼していない。 極端な過小使用者。第二言語から「拾う」ことができるものに完全に依存している。誤り訂正の影響を受けず、文法テストの成績は悪い。しかし目標言語を大量に習得でき、しばしば非常に複雑な構文も使用する。 最適な使用者。あくまで「学習」を「習得」の補足として適切な場合に使用する。ライティングにおいてはネイティブ並を達成する可能性がある。コミュニケーションの邪魔にならないように、習得されたもののギャップを埋めるために使用する。インプット仮説 「インプット仮説」は、理解可能なインプットを大量に受け取ることで言語は無意識に理解できるように「獲得」されるという理論です。 実際には成長していくために「ほとんどが理解できるけれど、新たに得られるものがある」のが好ましいです("i + 1" と表現されます)。 情意フィルター仮説 言語適性(頭の良さ)よりも、動機、やる気、楽しい、夢中になっている、などの情意の方が「習得」に関係が強いという仮説です。 ただしモニターとして「学習」が使えるので、言語適性も無関係ではないとのこと。 以下、クラッシェンのアドバイスです。もしあなたが頭でっかちタイプなら、「学習」に偏らずに「習得」をメインにするように気をつけたほうが良いです。 逆に学校の成績が良くなくて自信がない人は、「習得」には関係ないので気にしなくて良いです。 ただし幾らか文法の「学習」をした方が、正確な英語を使えるようになるでしょう。反論その1:アウトプット仮説 各仮説には反論もあります。ここでは特に気になる、インプット仮説に対するメリル・スウェイン(Merrill Swain)の反論を取り上げます。 英語とフランス語の地域があるカナダでは、もう一方の言語で授業が行われるイマージョン教育が行われています^40 しかしアウトプットが十分でないと、リスニングはネイティブにかなり近い水準になるものの^50、スピーキングには目立つ課題が残るそうです。 なので「アウトプットも必要」というのがアウトプット仮説です。 勘違いしないで欲しいのは「インプットが重要」というのは支持しています。 アウトプットがインプットの質をより高める、という考え方です。気づきの役割: 自分が「伝えたいこと」と「実際に言えること」の間のギャップ(欠落)に気づくプロセス 「言えない!」という壁にぶつかることで、脳が不足している知識を特定し、その後のインプットに対する感度(注意)が高まる(「あ、これ言えなかったやつ」) アウトプットが次のインプットをより「理解可能」かつ「吸収可能」なものにする準備段階として機能する仮説検証機能 アウトプットは「この言い方で通じるかな?」という自分なりの言語的仮説を試す場 相手の反応や訂正を通じて、自分の知識が正しいかどうかを確認し、修正していくことができるメタ言語的機能 言葉を何とかひねり出す過程で、言語そのものについて意識的に考え、言語体系を内面化・整理する効果がある反論その2:インタラクション仮説 単に聞くだけ(インプット)ではなく、会話の中で「今のどういう意味?」「こういうこと?」と意味をやり取り[^51]をすることが、最も理解可能なインプットを効率的に生み出すという反論です。 こういったやりとりをすることで、相手が自分の理解度に合わせて言い換えたり、スピードを落としたり、補足説明を加えたりしてくれます。難しかったインプットが自分にとっての「理解可能なインプット(i+1)」に作り替えられます。 [^51]: 意味の交渉(Negotiation of Meaning) これは独学者にはなかなか厳しい指摘です。 コミュニカティブ・アプローチとクラッシェンの仮説が同時期に提唱された背景 1960年代までの「文法中心・ドリル中心」の教え方が、「テストの点数は良いのに、実際には全く話せない学習者」を大量生産してしまったという反省があったからのようです。あれ?どこかの国の学校教育でも聞いた話ですね・・・。 しかし日本の文法訳読法中心の学校教育とはちょっと違います。アウトプットの練習はしていたのです。 「文法は完璧だけど、実際何て言えばいいか分からない」「練習ではペラペラなのに街角で話しかけられてもフリーズする」学習者が大量に生まれたようです。コミュニカティブ・アプローチの主張 「実際に使う場面を想定して練習しないと、使えるようにならないぞ」クラッシェンの仮説の主張 「ドリルなんて不自然なことはやめて、もっと自然に意味を理解することに没頭しよう」どちらも「意味のある言葉」を重視した点で共通しています。 オーディオリンガル・メソッドに対する「文法(形)ばかりで、中身(意味)がない!」という批判です。 ただアプローチの仕方が面白いほどに違います。コミュニカティブ・アプローチ(機能重視) 「レストランでの注文」「道案内」など、その状況で伝えたい意図[^60]ごとに、多少間違ってもいいから「やり取り」を重視する。クラッシェンの仮説(獲得重視) 「リラックスして面白い物語などを大量に聞いたり読んだりして、意味を理解(インプット)すれば、脳のスイッチが勝手に入る」と主張。[^60]: 専門用語で Function(機能) と呼ばれるようです。「その言葉を使って、何を成し遂げたいか(意図)」を指します。依頼する、謝罪する、誘う、不満を言う、などです。 認知言語学 (1980年代〜) クラッシェンは「生得説」=「人は言語を獲得する能力を生まれながらに備えている」に基づいて、「だから頑張って学習したり練習したりしなくても、大量のインプットがあれば脳が勝手に言語を獲得する」と考えました。 その「生得説」を当時支えていた考え方は、ノーム・チョムスキーらの提唱していた「生成文法」でした^25。 これは「全ての言語の元となる普遍文法があり、それを処理する装置が脳内に生まれながらに備わっている」という考え方です。 私はこの意見を支持しません。人の(というか他の動物も)持っている様々な認知能力と学習能力の組み合わせで言語を獲得しているのではないかと考えています。 であるからこそ、猫も犬もある程度言葉を理解する能力があるのだと思います。 そして私の専門分野である画像認識 AI でも、言語モデルと全く同じアーキテクチャを使って、画像を小さな 4x4 ピクセルのパッチに分解してそれを単語とみなして処理するだけで、非常に高い精度で画像認識ができるようになります。最近は画像も音声もテキストも扱えるマルチモーダルモデルが登場しています。非常に高い言語能力を獲得している最近の AI が使っているアーキテクチャは「言語専用」ではないんです。 認知言語学がまさにこの考え方で生成文法を批判的に捉えていたようです。❌️ 言語専用の特殊なルール(普遍文法)を、生まれつき脳に持っている ✅️ 言語専用の装置ではなく、物事の特徴を捉え、カテゴリー分けしたり、関連付けたりする「一般的な認知能力」を人間は生まれつき持っており、その応用で言葉も獲得するクラッシェンの仮説は当時の生成文法の影響を受けて「生得説」を前提としています。認知言語学は生成文法に疑問を投げかけていますが、「一般的な認知能力」は人間が生まれながらに持っているので、「生得説」を否定しているわけではありません。 では具体的に認知言語学がどのように言語学習に応用されているかというと、「コア・イメージによる理解」という考え方です。これが何かは説明するより見たほうが早いです。「イメージ」だけに。 私が最初に出会ったのは「新感覚☆キーワードで英会話」という NHK テレビ番組の本でした^62。講師の田中茂範先生は認知言語学の専門家だったんですね。 少し中身を引用させてもらいます。引用:「新感覚☆キーワードで英会話 2006年4月号」より take のコアイメージ上記はもう中古でしか手に入りませんが、最近は認知言語学に基づいたコア・イメージを取り入れた英語教材が増えてきています。例えば「英熟語図鑑」です。 @amazon(4761277033, https://m.media-amazon.com/images/I/81L4yreFRKL._SY425_.jpg)引用: 「英熟語図鑑」 より away のコアイメージ英語初級者向けに英語で書かれた文法書 Basic Grammar in Use にも、認知言語学の考え方が取り入れられています^63。 そうでないと初級者に英語で説明できないですよね。 @amazon(052113353X, https://m.media-amazon.com/images/I/41a3ceIROeL._SY425_.jpg)引用: 「Basic Grammar in Use" (Second Edition) より」「ネイティブがどう世界を捉えているか」というイメージの助けを借りることで、習得はもっとスムーズになる というわけです。 ただですね。コア・イメージを理解できたら、その組み合わせを理解できたり使えたりするか?というと、そうでないことが多いです。 分かるときもありますけど[^64]。 [^64]: 例えば多読を始めた時に絵本を呼んでいて、何かの実を摘む場面で "pick it off" という句動詞が出てきました。pick と off のコア・イメージを知っていたので、pick off という句動詞を知らなくてもそれをイメージで理解できました。 例えば車に乗る時は "get in the car" で、バスや電車に乗る時は "get on the bus/train" ですよね。 これはコア・イメージを理解することで感覚的に納得できますが、get と in, on のコア・イメージを知っているだけで言われて理解できるわけでも、自分で言えるわけでもないです。 むしろコア・イメージなんて知らなくても、そういう場面ではそれを使うものだと覚えて理解したり使えるようになれます。 私はコア・イメージを知ることが役に立っていると思っていますが、それはなぜそうなるのか?をある程度納得できる イメージしやすいので覚えやすくなる 句動詞を感覚的に理解できる 語彙同士の関連付けがしやすくなるという利点があるからです。 私はある語彙の意味を調べるときも、日本語と1対1で覚えるのではなく、色々書いてある日本語の意味から「コア・イメージは何?」を意識しています。英英辞典のような説明を日本語で理解してるのに近いかもしれません。 イマージョンラーニング イマージョンラーニングはクラッシェンの仮説に強く影響を受けています。しかしナチュラル・アプローチほど極端ではなく、初級者のうちは座学的な学習(単語、文法)も並行してやった方がよいと主張していますし、Anki などの SRS(忘却曲線に基づく単語の反復学習)も推奨しています。 クラッシェンの仮説に基づくナチュラル・アプローチやイマージョンラーニングは、最初は発話を求めない点で他と大きく異なります。 まずは大量の「理解可能なインプット」を受け取ることに集中し、発話は後から自然にできるようになるのを待ちます。 これは独学するには非常に都合が良い方法論です。レベルにあった大量のコンテンツさえあれば教師がいりません。 現代ではインターネットで大量の英語のコンテンツが手に入ります。 教師なしでアウトプットの練習をすると、修正してくれる人がいない(モニター役がいない)ので、直すのが難しい悪い癖がついてしまうリスクがあります^70。 しかしクラッシェンの仮説では、大量のほとんど理解できる i + 1 のインプットで言語の「獲得」が行われ、段々と自分で直感的に間違いに気付けるようになると考えます。これも非常に独学者に都合が良い考え方です。 問題は「本当だとしてめっちゃ時間かかって効率悪いのでは?」という疑問が浮かぶことです。 アウトプット仮説もあるので、 インプットだけで本当に十分なの? という疑問もあります。 アーミー・メソッドはなぜ成功したのか? オーディオリンガル・メソッドへの批判からコミュニカティブ・アプローチが生まれたわけですが、一方でアーミー・メソッドは成功した例^71として知られています。 その後のオーディオリンガル・メソッドと何が違ったのでしょうか? まず反復練習は退屈ですが、「戦時中であり、学習者が強制的に長時間集中して学習に取り組まざるを得なかった」というのは大きいと思います。 しかしそれだけであれば、熱心なオーディオリンガル・メソッドの学習者は大きな成果を得られるはずで、批判は「退屈で継続性に難あり」と言われるだけなはずです。 「言語科学者」と「ネイティブの協力者」の2協力体制言語科学者 学習者の母国語と同じ言語を話す ネイティブが出した素材を元に、体系化して学習に落とし込むネイティブの協力者 ターゲット言語のネイティブスピーカー 少人数のグループで、ひたすら実践的な会話や発音の模倣をリード母国語を完全に排除したわけではないようですね。 反復練習はネイティブの協力者が担当し、言語科学者は学習者の理解を助ける役割に徹していたようです。 とはいえ、クラス運営はほとんどターゲット言語偏重だったようです。 確かに説明よりもドリルによる反復練習に多くの時間を割いているのが特徴ではあるものの、学習者は「理屈での理解」があった上でそれを「身体的な訓練」で叩き込むという、かなり現実的な方法だったようです。 エリア・スタディーズ(地域研究) 言語学習と並行して、その地域の地理、歴史、政治、経済、文化、さらには人々の心理的背景までを徹底的に叩き込んだようです。 「国際共通語としての英語」とかじゃなく、特定の国や地域に実際に行って活動することを想定していたのですから当然です。 言語と文化は深く結びついています。言葉の背景にある「意味」や「文脈」が補完され、習得が加速するはずです。 圧倒的な時間と環境学習時間 出典により幅があって正確な時間はわからないものの、1日10時間、週6日という情報もあり、かなりの集中学習だった模様 そのうち週15時間がネイティブスピーカーとのドリル、20〜30時間が自習? 6週間のコースを2〜3回少人数制 少人数グループで、ネイティブと濃密に接触。実践的な教材 専門の教師ではないネイティブが「モデル」だったため、彼らの日常的な言い回しや、状況に応じた微妙な変化が自然に混じった。 単なるリピートだけでなく、ネイティブが投げかける質問に対して即座に応答する「やり取り」の要素が強い。 練習するフレーズが極めて具体的な「任務」と直結していた(軍事任務遂行や現地での生活に即した内容)。 実際に任務で使う状況に即したスキット(寸劇)やロールプレイ的活動も行われた。戦時という強烈な動機づけと「落第=任務に支障」というプレッシャー考察 アーミー・メソッドの特殊条件付きの成功を、(当時の学説^80をベースに)一般教育に適用しようとして、より「ドリル中心」「目標言語のみ使用」「文法説明は極力排除」という色合いが強まってしまったという感じでしょうか? オーダーメイドの学習プログラムを、画一的な量産型の学習プログラムに変えてしまった上に(それは仕方ないとして)、当時の学説^80を過度に取り入れてしまったように思います。手法 文法 内容 目的ASTP 言語学者が論理的に解説 文化・歴史・政治を同時に学ぶ実践的な内容 生死に関わる任務遂行ALM 規則を教えず、ドリルから「察せ」 文脈のない、無味乾燥な例文の繰り返し テストや一般的な教養(ASTP=アーミー・メソッド、ALM=オーディオリンガル・メソッド) 圧倒的な学習時間と動機は最重要だったとして、文法の説明による理解を完全には排除しない ネイティブスピーカーとのやり取りを重視する 実践的な内容を扱う 文化・歴史・政治など、言語の背後にある文化も学ぶ辺りが、オーディオリンガル・メソッドに対して取り入れるべきポイントではないかと思います。 特に後者2つは知的好奇心を刺激し、情意フィルター仮説の観点からも重要でしょう。 一方でパターンプラクティス自体は非常に有効だったのではないでしょうか。文法だけを重視した無味乾燥な文の機械的な反復ではなく、できれば自分事化して、実際に使う場面を想定した内容で練習できるのが理想です。[^85] [^85]: 去年からそういうパターンプラクティス教材を AI に作らせるアプリを開発したいと考えています。どう実現するかの大まかな構想は既にあります。今作っているセンテンス・マイニングを AI にやらせるアプリをリリースしたら、次に作り始めるかもしれません。 なおオーディオリンガル・メソッドの1つである DME メソッドは比較的新しく、カラン・メソッドを踏襲してドリル中心であるものの、文法説明があったりロールプレイ要素を足すなど幾らか改良が加えられているようです。 何気に非常に重要だと思う点があります。軍人たちは短期集中訓練の後に現地に赴任したわけです。 つまり イマージョンの前の準備として機能した とも考えられます。 特に「半年後に海外赴任が決まった」というような「短期で準備しなければならない」状況では、かなり参考になるのではないでしょうか? 「科学的な第二言語習得理論」という言葉の罠 最近よく「科学的な第二言語習得理論に基づいた学習法」という言葉を見かけます。 私の意見では第二言語習得理論は、一般の人が思う自然科学のような強い意味での「科学的」とは同一視しにくいです。 例えばクラッシェンの仮説は、実験的に証明された理論ではなく、観察に基づく仮説です。 観察結果を論理的に説明した「理論」ではありますが、実験的に証明されていなければ「仮説」です。クラッシェン自身も「仮説」と呼んでいます。 観察に基づいているので、ある程度の信憑性はありますし、仮説が提唱されてから色々な研究はされているでしょうが、厳密に自然科学のような手法で証明するのは困難です。 そもそも科学的であるものは基本的に反証可能であり、後の研究で反証されてひっくり返る可能性があります。 ましてや「仮説」では、まず間違いなく正しいだろうと信じるようなものではないはずです。 第二言語習得理論 (SLA) は言語学、心理学、教育学、社会学が絡み合う領域です。 SLA では、自然科学のような厳密な実験的手法で証明するのは難しいと考え、観察や統計、反証可能性^89を重視するアプローチが取られています。要素 SLAにおける役割観察 実際の教室や会話データから、どのようなエラーが起きるか、どう発達するかを記録する。統計 偶然起きた現象なのか、それとも意味のある差(有意差)なのかを数学的に判断する。反証可能性 「〇〇という条件なら、△△という現象が起きる」という仮説を立て、それが間違っていることを証明できる余地を残す。「科学的な第二言語習得理論に基づいた学習法」は、意図的に自然科学の厳密な「科学」を想起させて「正しい」と思わせる、キャッチフレーズの側面が強いのでは?と感じています。 悪だと断罪してるわけではありません。社会学も心理学も現代では科学的手法を取り入れており、科学の一分野として発展しています。誰かの経験や勘に基づいた方法ではなく、「観察や統計に基づいた根拠がある」というのは正しいです。ただ購買者の認知バイアス(先入観や思い込み)を利用したマーケティング手法という側面がありそうです。 私も第二言語習得理論はとても参考になると考えています。しかし「まず間違いなく正しい」とまでは信じていないので、組み合わせてリスクヘッジしようと思っています。 オーディオリンガル・メソッドも過度に当時の学説^80を取り入れて極端になってしまった面があるようですし、第二言語習得理論を過度に信じすぎるのはリスクがあると思います。 日本人にとっての英語という言語の特殊性 ここまで紹介した教授法や独学法は、特に日本人が英語を学ぶ場合に限らない一般論です。 しかし日本人にとって英語は非常に遠くて難しい言語です。 文法も文字体系も音も考え方も何もかもが遠いですが、特に難関なのは「音の違い」 です。 英語の文法はヨーロッパ系の言語の中ではかなり単純です。 文字体系はアルファベットで単語は空白区切りと、非常にシンプルです。逆に英語圏の人が日本語を学ぶ場合を想像してみてください。音よりも文字体系の方が遥かに難しいでしょう。 音が難関だという点を踏まえると、クラッシェンのインプット仮説は、日本人が英語を学ぶ場合には「それだけでは危うい」のではないかと考えています。 つまり口に出す訓練をしないと、聞き取る力さえも身につくのが相当遅くなる可能性があります。これは多くの日本人英語学習者の経験でも聞く話です。 インプットだけでそのうち自然に言語を獲得して話せるようになるかはもっと怪しいです。 カナダの英語とフランス語という近い言語のイマージョン教育でさえ、インプットだけではスピーキングに課題があるという話もありますし、日本人が英語を学ぶ場合には発音や音の変化を学んで口に出す練習は必須ではないかと考えています。 ただし最初はインプットから入って、ある程度英語の音に耳が慣れてから口に出す練習を始めるのが良いと思います。そして徐々にアウトプットの比率を増やしていくのが良さそうです[^95]。 [^95]: 私は15年ほど前に、英語上達完全マップ を参考に、(先に発音や音の変化を学んでから)中学3年分の教科書を1つの文を音声とピッタリ一致するようにスラスラ言えるまで何百回も徹底的に真似して音読するということをやりました。最終的に暗記するつもりはなかったのに風呂場で空で言えるようになってました。効果は抜群だったものの、順番は先にインプットをある程度やった後のほうが良かったと思っています。 急進的な考え方は避けたほうが良さそう まず過去の歴史を振り返ると・・・ダイレクト・メソッド以降の「話せるようになりたいなら、母語の影響をできるだけ減らしてターゲット言語に浸かるのが良い」という方向性は維持されています。 しかし母語の利用や、文法や単語を学ぶ「学習」を完全に排除する急進的な方法論は、必ずしも良い結果を生まないように思います。アーミー・メソッドとその後のオーディオリンガル・メソッドとの違い クラッシェンもモニターとしての一定の「学習」の効果を認めている クラッシェンの仮説をベースにしているイマージョンラーニングも、初級者のうちは基礎単語や文法を学ぶことを並行してやるように勧めている 文法を重視しないコミュニカティブ・アプローチには、正確な言語運用能力が身につかないという批判がある現代の第二言語習得理論では「フォーカス・オン・フォーム」(意味のあるやり取りの中で、必要に応じて文法に注意を向ける)[^96]が推奨されているようです。 [^96]: 提唱者のマイケル・ロング(Michael Long)はインタラクション仮説の提唱者でもあります。基本的にはコミュニカティブ・アプローチ的な「意味のあるやり取り」を重視しています。必要なときにだけ文法に注意を向けます。 ややこしいのですが、オーディオリンガル・メソッドのような形式重視の教授法は「フォーカス・オン・フォームズ」(Forms が複数形)と呼ばれ、コミュニカティブ・アプローチの意味重視は「フォーカス・オン・ミーニング」と呼ばれます。バランスを取って、意味のあるやり取りの中で、必要に応じて文法に注意を向けるのが「フォーカス・オン・フォーム」です。 最近の研究はどうなってるの? ここまでに紹介したものは基本的に20世紀のものなんですよね・・・。イマージョンラーニングは最近の独学法ですが、理論的な背景は主にクラッシェンの仮説です。 私は第二言語習得理論の専門家ではないので、21世紀の最新研究動向がどうなっているか詳しくは分かりません。 クラッシェンの仮説に対して現代の研究者からは「定義が曖昧で反証可能性が低い」と批判されることがあるようですし、より科学的アプローチが取られていそうです。 これについては、別途調査したらまた記事を書こうと思います。 それぞれをどう組み合わせるのか? イマージョンラーニング テスト対策ではなく実践的な英語を独学するのなら、これを中心に据えるのが良いと考えています。 ここで紹介してきた他のものは、全て教師がいる前提の教授法です(パターンプラクティスは独学用の教材があります)。 「オンライン英会話やっています」「英会話教室通っています」という「教師を付けている人」も、大量のインプットはやった方がよいでしょう。 個人的にイマージョンラーニングの「大量のインプットが重要だ」はそうだと思うけれど、ちょっと極端すぎると思っています。 イマージョンラーニングだけにオール・ベットするほど信用していないです。 文法訳読法 これは学生時代にやったので、基本的にはもういいでしょう。 何に役に立ったかと言えば、英語を読む時に、英語を英語のまま理解するのが難しい箇所でも、そこだけ頭で日本語にしながら理解できる クラッシェンの言うところの「i + 1」の i の部分がちょっと厳しい状態でもイマージョンラーニングを進められることです。 聞いて分からない → 字幕を見る → 分からない単語や表現を調べる → 文法的にどういう構造か理解する → 文の意味が分かる これで文の意味が分かれば、それを繰り返し聞けば、意味が分かっている音声を何度も聞いて瞬間理解まで定着させることができます。 また文法をパターンプラクティスで自動化するまで叩き込むとしても、先に理解できていた方が納得しながら練習できると思います。 ダイレクト・メソッド / アーミー・メソッド / オーディオリンガル・メソッド イマージョンラーニングでは、アウトプットを全然重視していないので、そこを補完できると考えています。 アウトプット仮説によると、アウトプットすることがインプットの質も高めるそうですし、インプットとの相乗効果が見込めて効率が上がりそうです。 そもそも軍事目的の短期集中による時間効率を重視して成功した手法です。イマージョンラーニングの「時間がかかる」という欠点を補完できるかもしれません。 機械的な反復練習だけではダメという点を踏まえ、アーミー・メソッドとその後のオーディオリンガル・メソッドとの違いも意識したうえで、以下を取り入れられそうです。できるだけ日本語を介さずに、英語をイメージと直接結びつける とはいえ、日本語による理解を完全には排除しない 文字よりも音を重視する 発音やリズム、イントネーションを真似して口に出す練習をする パターンプラクティスで文法や表現を反復練習で自動化する パターンプラクティスで行う反復練習内容について、文法の説明による理解を排除しない 「英語のハノン」には簡単ではあるが文法解説があるパターンプラクティスで言葉を発する際に、その文を自分の意図として伝えるつもりで言う 文化・歴史・政治など、言語の背後にあるものも学ぶ日本語と英語は音が違いすぎるので、真似して口に出す練習はリスニングに極めて有効です。真似して口に出す練習をしておかないと、言いたいことを英語にできても言えないです。 そしてパターンプラクティスには数は少ないものの独学用の教材(「英語のハノン」と「パタプラ イングリッシュ」)があります。 とはいえ教材が少ないですし、どちらも中級・上級向けです(「英語のハノン 初級」でさえ)。リピーティングやシャドーイング、リード&ルックアップなどの他の練習も取り入れることになるでしょう。 認知言語学(コア・イメージ) コア・イメージを理解することは、イマージョンラーニングの助けになると思います。 根っこが生得説に繋がるので、相性が良さそうです。語彙のコア・イメージを理解しておくどうしても年齢が上がるほど母語の影響が強く、大人になれば大量のインプットだけで自然に言語を獲得するのは難しくなります。 ネイティブの感覚をコア・イメージで理解することで、大量のインプットを通してそれを自然に吸収しやすくなるのではないかと考えています。 あくまでイメージと結びつけるのですが、コア・イメージを理解するのに日本語の助けを借りるのは構わないと思います。母語による理解の助けが得られるのは大人の強みです。 コミュニカティブ・アプローチ 独学が基本の自分が取り入れられる要素としては、英語を道具として使う意識を持つ 実際に使う場面を想定して、自分の意図を伝えるつもりで練習することでしょうか。 そのうち英会話を始めることも考えると思いますが、現時点ではまだ独学で良いと考えています。 インタラクション仮説は気になりますが・・・。 まとめ 前提:動機(目的)をはっきりさせておく 時間をかけることは必要方法として取り入れること:独学に向くイマージョンラーニングを中心に据え、実践的で意味のある大量のインプットを受け取る 文法訳読法はもう十分なので、必要に応じて文法的知識を補う できるだけ日本語を介さずに、英語をイメージと直接結びつける とはいえ、日本語による理解を完全には排除しない 語彙のコア・イメージを理解しておく 文字よりも音を重視する ネイティブの発音やリズム、イントネーションを真似して口に出す練習をする イマージョンラーニングで出会った「状況における意味のある内容」を、自分の「意図」として伝えるつもりで真似する パターンプラクティスを取り入れて文法や表現を反復練習で自動化する パターンプラクティスで行う反復練習内容について、説明による理解を排除しない パターンプラクティスで言葉を発する際に、その文を自分の「意図」として伝えるつもりで言う 英語を道具として使う意識を持つ 文化・歴史・政治など、言語の背後にあるものも学ぶ^100